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The Doorsはアメリカのロックバンド

Love Her Madly

一部和訳します。

お前は、彼女を死ぬほど愛していないのかよ?

お前は、彼女を激しく必要としていないのかよ?

お前は、彼女の物腰を好きなんじゃないのかよ?

俺に言いたい事を話してくれよ

とても不器用で乱暴な言葉ですが、和訳しないでそのまま聴くと心地良い。

The Doorsってどんなバンド

カリスマ的ボーカリストジム・モリソンが在籍したことで知られ、ロック音楽黎明期のアメリカ西海岸を代表するバンドとして、主に1965年から1972年まで活動しました。

1993年度ロックの殿堂入り。

The Doorsは、60年代アメリカのロックバンドでは、商業的にも最も成功したバンド。

ダークなロック。

史上初めての闇属性のロックバンド。

文字と音楽の突然変異的に生まれた背徳的な畸形のロック。

華やかでポップで、見せ物小屋のようにダークで不気味でもある、オリジナリティ溢れる名曲をDoorsは数多く残しました。

People Are Strange 曲の詳細

カリスマ的なボーカリストジム・モリソンが在籍していたThe Doorsの2ndアルバム『Strange Days』に収録されている曲。

1967年9月にリーリースされました。

精神的に落ち込んでいたジム・モリソンが、ギタリストのロビー・クリーガーに夕日を見に散歩に誘われ、その時に生まれた曲だと言われています。

People Are Strangeは直訳すると『人々は奇妙です』という意味になります。

自分から見た人々の様子で、歌詞に歌われているのは自分の孤独です。

『世の中がおかしく見えるのは、自分が世界に適合していないからだ』という心理が、詩的な表現で書かれています。

曲を聴いていると、自分の孤独を嘆いているよりも、孤独の中に気楽さを感じているように感じられます。

People are strange when you’re a stranger

Faces look ugly when you’re alone

Women seem wicked when you’re unwaneted

Streets are uneven when you’re down

自分が馴染んでいない時、人々が奇妙に思える

自分が孤立している時、人の顔が醜く見える

自分が求められない時、女が邪悪なものに見える

自分が落ち込んでいる時、通りは歪んでいる。

以下省略

L.A.Womanはジム・モリソンが死の直前に作られた最高傑作の曲

27歳という若さでこの世を去ったジム・モリソン。

彼の音楽キャリアにおいて、生前最後のオリジナルアルバムとなりました。

リーリースされたのは1971年4月。

これまでに発表された作品の中でも、ブルースを基盤としながら独自のサウンドを追求してきたDoorsの楽曲の中でも特にスピード感溢れる一曲として知られています。

アルバムがリーリースされて3ヶ月も経たないうちに悲劇は起こりました。

1971年7月3日、ジムはパリの自宅アパートのバスタブで死体となって発見されます。

第一発見者は、恋人のパメラ・カーソン。

三年後ジムの後を追うようにしてパメラもオーバードーズでこの世を去りました。

彼女の死もジムと同じ27歳でした。

歌詞

この街にやって来たのは ほんの一時間前

俺はあたりを見回した 風向きを見るために

L.A.の女 L.A.の女 日曜の日の午後に

L.A.の女 L.A.の女 日曜の日の午後に

L.A.の女 L.A.の女 日曜の日の午後に

ロスの郊外を車で走り抜けて

お前の沈んだ心へ  お前の沈んだ心へと入り込む

以下省略

The Doorsの結成

Doorsは大学の映画科で知り合ったジム・モリソンと、主にジャズのコンボに参加していたキーボード奏者のレイ・マンザレクを中心に、フラメンコギターの得意なロビー・クリーガ、ジャズドラマのジョン・デンズモアというメンバーで、1965年に結成された。

ベーシストはおらず、マンザレクがキーボードのフットベースで代用。

モリソン以外のメンバーはバンド活動や大学の授業で知り合う。

音楽、文学、映画、心理学などに興味を持っており、モリソンの文学的知識と試作の鋭さに惹かれていました。

グループは当初からスタイルにこだわらず、モリソンの前衛的な詩を生かすようなサウンドを目指していました。

フラメンコををしていたクリーガーは、ジャズ、ロック、ポップスもよく知っていました。

クリーガーはDoors結成当時は彼がグループの音作りをまとめていました。

違和感あるロックグループ

ロスのいくつかのクラブに出演している時、大手のコロンビアレコードから声が掛かり契約の一歩手前まで行きましたが、上手くはいきませんでした。

ベースレスであることや、手本とするロックグループがいないことなどもあり、芽が出ずにいました。

多分、大手レコード会社にそのまま在籍していれば、原型がなくなるほどの大幅なテコ入れがなされただろうと思う。

クラブで演奏を続けていた時、彼らに目を付けたのはエレクトラレコード主宰のジャック・ホルツマンでした。

ホルツマンは音楽を聴くプロフェッショナルで、売れるとか売れないとかに関係なく、良い音楽であればどんなグループでも契約をしていました。

バンド編成や音作りの面で他のロックグループと比べるとDoorsは違和感のあるサウンドでしたが、エレクトラに在籍することで伸び伸びと自分たちの音楽を作ることが可能となりました。

時代はボブ・ディランがアコーステックからエレキギターに持ち替えた1965年から1年後には、ロックンロールはいつしか単にロックと呼ばれるようになっていきました。

当時、最もヒップだったグレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインらに代表されるサンフランシスコのアシッドロックのブームは、Doorsの拠点であるロスに広がっていきます。

メランコリックで長尺の演奏を繰り広げるサイケデリック(アシッド)ロックの波は全米レベルとなり、Doorsの違和感は逆にロサンジェルスでは時代の先端を走ることになりました。

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