細井道子さんとの出会い
息子の同級生のお母様からの紹介で道子さんと出会いました。
30年も前の事です。
18歳の時にHTLV 1関連脊髄症を発症し、次第に歩行が困難になり始め、28歳で下肢が完全に麻痺しました。
以来、車椅子を使用。
道子さんのお話ですと、『母親と同じ病気だと知った時ショックで命を絶つ』ことも考えたと話しておられました。
1979年に社会復帰を目的にした訓練施設で、細井宏之さんと出会い翌80年に結婚。
1982年に宏之さんが筋萎縮性側索硬化症を発病。
その後1986年に亡くなるまで、多くのボランティアと共に道子さんが介護し、最期を自宅で看取りました。
その時の状況を話して下さいました。
『私はテレビを見せて介護する事はしなかった』
『まだその頃動かせた両手で、料理を作り介護もした』
『二人の間に子供が出来たけれど、この体で出産は無理だと言われた』と子供を諦めた時のお話をして下さいました。
ご主人が亡くなられてからは、『誰でも気楽に入れるように鍵はかけない』
心の傷を負った方々のケアーをされていました。
筆者は道子さんに導かれるように、1日置きに会いに行っていました。
子供たちが行くときには、『そこら辺にある車椅子乗ってご覧』と言われて子供たちは家中を車椅子で遊んでいましたね。
筆者の子供たちを我が子のように可愛がって下さいました。
道子さんと一緒に横浜市内散策
悠々と出かける道子さん。
心配することもなくただ横に並んで散策。
そんな時に、悪げはないと思うのですが『頑張ってね!』と声をかけられることがあります。
道子さんは『貴方もね!』と声をかけます。
『これ以上どう頑張ればいいのよね』と私に呟きます。
ここで爆笑。。。
とても明るい道子さんでした。
道子さん曰く『障害を抱えた人がもっと外に出るべきだ』と言われていました。
『24時間テレビ私あれ大嫌いなの』と言う道子さん。
ウンウンわかると同意する筆者。
長野県でチェルノブイリ展開催
道子さんがどうしても行きたいと言うので、子供達を伴い行きました。
着くと出迎えてくださったオーナーの奥様が、道子さんを軽々と持ち上げペンションの中に。。。
道子さんが来られることをとても楽しみにしておられた様子でした。
お風呂にも入れていただきスッキリした様子の道子さん。
そして筆者と子供達と一緒に夕飯を頂きます。
やんちゃな息子が、他の人たちがまだ食事をしている時に立ち上がり遊ぼうとします。
道子さんの檄が飛びます。
そうした当たり前の躾をさりげなくしてくださる方でした。
チェルノブイリ原子力発電所事故の詳細はこちらから。
その関係で、いつも道子さんのところに行くと電気もつけず薄暗い。
来客があると電気をつけるという状態でした。
全てにおいて徹底されていましたね。
筆者が出会った頃には、両手も使えない状況でした。
口にストロー状のものを加えて、息で電気関係を操作していました。
パソコンの文字入力も口で行い、出筆活動もされる道子さんは『体がこうなっても頭だけはしっかりしていて良かった』と語っておられました。
道子さんのような場合電気料金はかかりません。
それでも節電される道子さんを見ては学ぶところが多かったです。
日本中を講演して回る道子さん
特に高校生対象の講演会が多かったようです。
道子さん曰く『私は日本中にお友達がいるから移動に苦労したことがないの』と言われていました。
心のバリアフリーと筆者は思います。
建物をバリアフリーにしなくても、心がバリアフリーだと小さな子供からお年寄りまで苦なく生きられる世界です。
筆者は母親の母親(祖母)がお寺の娘だったので必然的に仏教なんですね。
道子さんは敬虔なクリスチャンでしたが宗教を超えての癒しがありました。
道子さんと筆者の間には、宗教の壁は全くもってありませんでした。
そこには一人の人間としての関わりだけが存在します。
道子さんの側にいるだけで心が癒されるのです。
そうした道子さんの講演会で、泣き出す子供さん達も多くいたようです。
道子さんはどう思われていたかは分かりませんが、その為に産まれてきた方だと筆者は思うのです。
子供からお年寄りまで順風満帆とは行きませんよね。
色々な悩みを抱えておられる方は多いかと思います。
晴れた日ばかりじゃないけれど
こちらから詳細をご覧いただけます。
筆者は子供の頃から特別な世界を体験しています。
それゆえ子供の頃から、心の奥深く傷が癒されることもなく生きてきました。
周りのことばかり気にして、自分はどうしたいのか分からないまま大人になりました。
道子さんに出会ってからは、その傷も癒えていくこととなります。
そして今では自分勝手だと言われることが多くなりました。苦笑
40数年間の呪縛から解き放たれ今は自由気ままに過ごしています。爆笑
決して金銭面では恵まれているとは言えないけれど、お金では買えない自由を満喫しています。
昔の贅沢な暮らしをしていた頃に戻りたいかと聞かれれば『今が一番幸せ』と即答できる筆者です。
最後までお付き合い頂き有り難うございます。