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実際に手術を受けて胸郭出口症候郡の手術から現在に至るまでの経過を参考までに掲載します




胸郭出口症候郡でネット検索すると手術例が少ない


そこで筆者が体験した事を書いていきます。

原因は、スキューバダイビングでの転倒事故から発症したものと認識しています。

検索しても出てこない、温存する学実論文ばかりが出てきます。

それほど難しい手術と言うことになるかと思います。

過去の記録を書き出して経過を記します

2015年10月12日の記録から

胸郭出口症候郡は、個々違う症状が出るようです。

血圧正常、脈拍数も正常。

病気と言う意味では健康。

死に直接関わる病はない。

胸郭出口症候郡は怪我。

昨日まで天候も安定し、出来る時には、出来なくなる日が有る事を前提に動いてしまう。

今日は晴天で普通なら体調も順調と言う日。

4日間の頑張りが、朝から目が開かない。

今日から暫く、動く事が出来ない。

出来ない日があるから、つい動いてしまう。

首の付け根を押すと、手先、肩甲骨まで痛みが出る。

左右に症状があり、特に左側が重症。

この症状が重症化すると、肩が異常に固くなり目が開けていられない。

物を見る時のピント調整が上手く行かず、何事をするにしても目を使う為、重症化すると、集中力の欠如に繋がる。

握力の低下が著しく、食器を落とす事が多くなる。

今このブログを書いている途中、左手をかばい机の上に乗せて書いているにもかかわらず、益々首から手先にかけて重くなって行き、暫く机に手を乗せて休むも、首の付け根辺りに異常を感じる。

もう、この時点で目が辛くなってきている。

つまり、手を直角に曲げるだけで、症状が悪化すると言う事。

その為、デスクワークが無理になる。

何も出来ないまま、症状が緩和するまでの間寝る事になります。

生死に関わる怪我ではないけれど、この状態がずーと続くのは生きて行く上で辛い。

外観からは、手が無くなったりとか、足が無いとか、目に見える怪我ではない為、この怪我を説明しようと考えた事も無く、いつからか、症状が軽い時にだけ人と関わる事が増えて行く。

いわゆるひきこもり状態。

症状が軽減すると、外に出る。

決して良好な状態とは言えないが、周りの人に不快感を与えないようにと行動してしまう。

その為、第3者には元気な人だと思われてしまう。

この部分は多分理解されないだろうと思う。

S先生の診察日を、指折り数えて待つ自分が居る。

今は我慢の時。



胸郭出口症候郡の手術まで

1.      2015年11月11日 問診と触診 握力の計測

右.10kg:左8kg

胸郭出口症候郡と断定手術を行う事に。

手術が決まったその日のうちに、血液検査:尿検査:心電図:胸のレントゲンを撮影。

2.      入院手続き窓口で説明を受け、書類と手続きの説明を受けます。

その中に、70歳未満の方の区分別自己負担限度額の説明を受けます。

区分はア~オまであり、ア:標準給与月額83万以上の方の、自己負担額は252.600+(医療費-842.000円)×1%となります。

一番所得が少ない低所得者の場合には、一ヶ月の自己負担限度額は35.400円となります。

この限度額認定書は、各市町村の市役所、区役所にて、国民保険の方は国民保険窓口にて、その日のうちに出して下さいます。

この、限度額認定書を持参し入院となります。

3.      2015年12月12日(土曜)入院


入院窓口にて必要書類の提出。

入院手続きが終わると病室に案内されます。 

移動で疲れた私はベッドに横たわり休息を取ろうと思いましたが、入院日はとても忙しいです。
 

○  麻酔科医師による、説明を受け同意書に署名。

○ 3人の看護士さんがそれぞれ訪れ、説明を受けます。

この時血液検査も行われます。万が一の輸血に備えての血液型を調べます。

○2人の理学療法士さんが訪れ、術後どのような目的でリハビリをするか、それぞれ、別の時間帯に訪れて説明を受けます。

○ 夕食時、S先生が来られて、手術名、左斜角筋離断・神経剥離の説明を受けます。

病名は左胸郭出口症候郡

4.      2015年12月13日(日曜)

明日の手術に備えてのんびり過ごします。

この日、温泉はお休み。

病室内にあるシャワーを浴びて音楽を聴きながら過ごしました。


 20時20分~20時45分、熱海市の恒例の花火大会。

外に出て、花火大会を楽しみつつ撮影。

久しぶりに観る花火大会、とても美しい花火でした。




2015年12月14日 手術当日


朝、看護士さんが部屋に来て、『手術中にお好きな音楽をかけることが出来ます』との事。

レパートリーは広く、色々なアーチストの名前がありました。

大好きなマイケルもありました。

元気な頃、運動する時には、マイケルの音楽聴いていました。(ジムにも行っていました)

リズムに乗れてとても良いですし、時間を忘れる事が出来ます。

厳しいトレーニングの場合特に。

でも手術ですから、『マイケルだとちょっとね』 『じゃ~エリック・クラプトンか、ボブ・ディランでお願いします。』

『はい、承知しました』と看護士さん。

9時30分、歩いて手術室へ。

かかっていました、エリック・クラプトン。

ほっとしたのを覚えています。

計画では1時間30分の予定でしたが、50分で手術は終わり、気づくと病室のベッドでした。

夕食までの間、点滴は続きます。

その中には痛み止めの点滴も。

痛みは殆どなく、点滴を揺らしながら散歩していました。

首から、術後の出血に備えるためのドレーンを首に下げて。

救急で来られた家族の方々の痛い視線が。

もうこの歳になると、どんな反応をされても驚きません。

余計に堂々と、相手の目を見つめて『何?』って感じて歩いていました。 

一番辛かった目の症状が消えていました。

毎日、目が辛くて、食事以外は寝ていましたから。

寝ていると、左目がどんどん腫れて来て、とても辛い症状でした。

胸郭出口症候郡は視神経にも影響を与えるのだと知りました。 



この続きは又明日書きますね。 

最後まで読んでくださり有難う御座います。






 

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