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私が知っているレイ・チャールズとは。。。

レイチャールズは、「ジーニアス」と呼ばれる伝説的なミュージシャンで、1950年代にソウルミュージックのジャンルを開拓しました。

チャールズはブルースゴスペルR&Bロックカントリーミュージックジャズを組み合わせて、「Unchain My Heart」、「I’ve Got A Woman」、「What I’’d Say」などの画期的なヒットを生み出しました。

これらの詳細を書くと莫大な文字数となりますので、それぞれWikipediaでご覧頂けるようリンク先を掲載致しました。

天才です!

彼の印象的な複数の賞を受賞した50年のキャリアは、世界中の現代音楽に消えないマークを残しました。

レイチャールズロビンソンは1930年9月23日にジョージア州アルバニーで生まれ、フロリダ州グリーンビルで育ち、5歳になる前にピアノを弾き始めました。

6歳のとき、彼は緑内障を発症し最終的に彼は失明。

作曲(点字での作曲)を学び、1937年から1945年にかけてセントオーガスティン聴覚障害者学校に通いながら、アルトサックス、クラリネット、トランペット、オルガンを演奏することを学びました。

1947年、600ドルでシアトルに移り、ナット「キング」コールスタイルのクルーナーとして働きました。


『私は音楽の中で生まれました。それが私が知っている唯一の説明です。』レイチャールズ


失明しても母親の言葉を心に刻んで忘れなかった


私が小さい頃に体験した苦しみ、長年に渡って起きたあらゆる事柄を人々に分かってほしい。

自分がどこへ行きたいかを知っていて、諦めずに頑張れば、逆境から立ち直れることを人々に知って欲しい。

何度かニックダウンされたっから言って、諦めてはいけない。

監督のテイラー・ハックフォードは、1980年代後半にストーリーを書き上げていたが、映画化までに15年もの歳月を要することになった。

レイは常に制作過程において、自分の影の部分を避けないようにとテイラーに言った。

君はどんな話を伝えてもいいし、私をどのように見せても構わない。

でも、真実を語らない事だけは許されない。

それは正しい事ではないからね。

問題は誰がレイを演じるかだった。

テイラーはある日、レイのもとにジェイミー・フオックスを連れて引きあわせることにした。

ジェイミーは3歳でピアノを始め、その奨学金で大学に進んだ経歴の持ち主だった。

二人はピアノの前に座って一緒に弾き始めた。

ジェイミーはファンクとゴスペルっぽいものを。

レイはセロニアス・モンクのジャズを弾いた。

レイについてこれなかったジェイミーに、『さあ、来い。どうした?君の指の下にあるものじゃないか』と厳しく言った。
レイは音楽に関しては完璧を求める人だったので、私が起用を諦めかけた時、ジェイミーがやっと弾けるようになり、レイが言った。

『そうだ、この子はできるじゃないか。彼に決まりだ』とレイ本人が彼に役を与えたんだ。

ジェイミーはそれからというものの、レイ・チャールズを演じるために、仕事や喋り方など肉体的な特徴から真似ることを始めた。

点字のレッスンも受けた。

しかし、鍵はニュアンスだった。

単に真似るのではなく、精神的なものを捉えたかった。

撮影の時、目に特殊メークがされていたから1日14時間、何も見えなかった。

暗闇の世界は慣れるまで大変だ。

まるで冷たいプールに飛び込みたいな感触だ。

だけど一旦慣れると、音楽が強烈が身体が響くようになったんだ。

『貧乏も黒人も盲目も嫌だ。だから自分を支配して自分の人生を作り直すんだ』とレイは言った。

彼の決意は明確だった。

レイにある種のエネルギーやカリスマ性が備わっていて、そのおかげで人々が彼に誠実に接したのだと分かった。

ジエィミーはレイの中に完璧に入り込み、素晴らしい演技を見せた。

そしてアカデミー主演男優賞を受賞。

映画は1940年代後半、クラブでの演奏やツアー廻りでプロのミュージシャンとして活動するレイのキャリア初期から、アトランティック・レコードと契約をして伝統的なヒット飛ばし、ABC パラマウントでの60年代の栄光と苦悩、79 年にジョージア州議会がレイの名誉を回復して『Georgia on My Mind』を州歌に認定する日までを描く。

『I Got Woman』『What’d I say』『I Can’t Stop Loving You』と言った代表曲も収録されていいる。

南部での母子家庭の貧困、少年時代に起こる弟の死とトラウマ、そして運命の失明。

あるいは人種差別、麻薬中毒、女性問題、音楽ビジネスなど、あらゆる真実を我々は知ることになる。

そんな中で挿入されている母親との回想エピソードが感動的だ。

レイは何か辛いことがあると、いつも死別した母親の言葉を想い出した。

心に刻んで忘れなかった。

盲目だからといって人からお情けをもらうのではなく、どんな時にも二本の足で立てる人間になりなさい。

レイ・チャールズは2004年6月10日に73歳で亡くなった。

同年8月には、おそらく最後と予感しながら録音した遺作『Genius Loves Company』(ノラ・ジョーンズ、ポニー・レイット、ウィリー・ネルソン、ヴァン・モリソン、エルトン・ジョン、B.Bキングら12人とのデュエット)がリリースされて大ヒット。

映画『Ray/レイ』は10月に公開された。

予告編




Ray Charles “Georgia on my Mind” live 1960

こちらはレイ・チャールズ本人による『Georgia My Mind』


Rey/レイ アマゾンから引用(画像クリックで詳細)


参考・引用/『Ray/レイ』パンフレット

レイ・チャールズの詳細


7年間(1940年代から2000年代)にヒットしたビルボードチャートをリリースした最初で唯一のボーカリストです。

グラミー賞を受賞した6年間(1950年代から2000年代)にグラミー賞を受賞した歌を録音した最初で唯一のレコーディングアーティスト。

1960年と2004年に受賞したときと同様に、44年に渡る録音でグラミー賞を受賞した最初のボーカリスト。

1960年、1961年、1962年、1963年と同様に、4年連続で少なくとも1つのグラミー賞を受賞した最初のボーカリスト。

グラミー賞を受賞した10のレコーディングを、他の人が最初に録音した曲で録音した最初で唯一のレコーディングアーティスト。

グラミー賞を4度以上受賞した「カバー」を持つアーティストは他にいません。

レイチャールズは、5つの異なるチャート(ジャズ、R&B、カントリー、ポップ、ダンス)でビルボードチャートトップ10チャートヒットをリリースした最初で唯一のレコーディングアーティストです。

そして遺産は続きます。

1989年には、サザンオールスターズの「いとしのエリー」をカヴァーしたことで日本で話題になりました。


偉大な音楽家でした。

私の好きな曲(リンクをクリックでYouTubeでご覧いただけます)

Ray Charles – Hit The Road Jackhttps://youtu.be/Q8Tiz6INF7I
Ray – What’d I Sayhttps://youtu.be/auu9b6qW3YU
Ray Charles – Song For Youhttps://youtu.be/CzAkTrDiXxg
愛さずにはいられないhttps://youtu.be/TFa3HIpQehM
わが心のジョージア https://youtu.be/1CDro7NhVMY

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