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横田滋さん死去 妻・早紀江さんら会見ノーカット(20/06/09)

 

心からご冥福をお祈り申し上げます。

我々がすべきことは気楽な立場で政権を批判するのではなく、自分の娘が、あるいはきょうだいが北朝鮮に拉致されたらとまず想像してみることだと思います。

このインタビューの中で、恵さんの弟の哲也さんは、問題なのは「安倍政権」ではなく、「40年間何もしてこなかった政治家や、北朝鮮は拉致などしていないと言い続けたメディアである」

と指摘した上で、「何もやってない人が政権批判をするのは卑怯だ」と非常に厳しい言葉で政治家やメディアを批判しています。

6月5日、北朝鮮に拉致された長女・めぐみさんとの再開を果たせないまま、87年の生涯に幕を閉じた横田滋さん。

妻そして戦友として共に戦い続けた早紀江さんは、記者会見で気丈に語った。

「いつも穏やかで笑顔で、拉致されている人のことを思い、思い残すことがないほど、全身全霊で打ち込んだと思います」

署名活動を行う中、配っていたチラシをたたき落とされる場面も。

1997年、拉致問題解決への署名活動を行う、若き横田夫妻。

社会の関心はまだ薄く素通りされ続け、配っていたチラシを心ない人にたたき落とされる。

しかしそれを再び拾い、声を上げ続けた。

政府の対応が生ぬるいと首相官邸近くで体力の限界まで座り込みを続けたことも。

2002年に拉致被害者が帰国した際も、ニュースで何度も報じられた映像とは別に、横田夫妻がどのように家族らと接してきたのか。

横田めぐみ”さんの実名を出すか否か

早紀江さんがめぐみさんに宛てた手紙を軸に、夫婦の戦い。

めぐみさんは、明るくひょうきんでいつも家族の中心的存在だった。

温厚な滋さんとそんな夫を支える早紀江さんのイメージだが、実はめぐみさんが拉致被害者と知らされた直後、めぐみさんの顔と名前を明らかにしようと決めたのは滋さんだった。

娘の身を案じ伏せてほしいと訴える早紀江さんに「声を上げて戦おう」と説得した滋さん。

夫婦の知られざる葛藤。

早紀江さんは、滋さん死去後の記者会見で「(当時)早まって(めぐみさんの顔と名前を)出しちゃだめ、と意見が違っていたのですが、きちんと出して覚悟して進まなければだめだと言って、北朝鮮のことが世界中にわかってもらった。

お父さんがやったことは間違っていなかったと思います」と語っている。

「長きにわたり拉致被害者救出のために共に活動を行ってきた人たちに滋さんの印象をたずねると、みな口を揃え信念が強い人、勇敢な人だったと語ります。

そんな強い気持ちこそが、内外の世論を大きく動かし、拉致被害者家族の活動の原動力になったのです」とコメントしている。

この事は決して他人事ではなく、私たち日本人の問題だと重く受け止めています。

横田滋さまお疲れさまでした。

そして、その思いが叶うことを一国民として見守り続けたいと思います。

私が思うことは、私の子供達が同じ状況になった時に、横田滋さんのように活動できたかどうかです。

人それぞれですが、私の性格上絶望し命尽きていたと思われます。

私は人間としてとても弱い人間です。

後を追っていたと思います。

横田滋さまのように活動できたかどうか自信がありません。

正に、信念が強い人、勇敢な人の一言に尽きると思います。

私も棺桶に片足を入れている状態、横田滋さまとお会いする日もそう遠い先ではないと思います。

 

6件のコメント »

  1. こんばんは。
    本当に運命に翻弄されてしまった方ですよね。
    ここまで頑なに日本へ返さなかった理由は何なのでしょうか。
    遺骨を偽造したりなど、有りえない苦痛を受け続け本当に不憫でした。

  2. 当時、拉致問題が表面化した時から気にしていました。
    時々、テレビなどに出ているのを見て、早く解決をすればいいのにと願っていました。

    私には子供がいませんが、でも思います。
    こんな事を許してはなりませんよね。

    • はい!
      明日は自分や、自分の家族がと思わないといけないと思って居ます。
      横田滋さんは、恵さんの事だけ考えて行動した訳では無いと思います。

  3. そうですね。
    同じ境遇の方はまだおりましたし、北朝鮮に対して圧力を掛け続ける事が、拉致問題全体の解決に繋がると思い活動していたのだと思います。

    私には出来ないです。
    だからこそ、無念はあるでしょうが、生きたと言えるでしょう。

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