日本の美術家 横山大観さんからロッカクアヤコさんまで
ある日突然美術館巡りをするようになりました
子供が小さい頃は遊園地とか一般的な、何処にでも居る家族でした。
主人が休みの日には、色々な所に連れて行って貰い子供たちも大変喜んでいましたが。
ある日突然美術館巡りを始めることとなります。
古典絵画を初め、あらゆる美術館巡りをしました。
主人は『横山大観の絵を眺めながら、お酒を飲みたい』
『横山大観の絵があればそれだけで良い』と『ああ!そうなんだ。私がいなくてもいいんだ。』と心で呟いていました。爆笑
主人の母方は、叔父、叔母、祖父母も画家。
祖母の絵はその街の美術館に保存されていると話していました。
主人が小学生の時、お札を本物そっくりに描いたことで、親は驚き酷く怒られたとのことです。
主人は日本の画家を愛しながらも、自身でも誰にも描けない独特な絵を書き、陶芸まで始めてしまう人でした。
私と言えば線一本描く事が出来ません。
何も分からない筆者は、古典絵画が一番素晴らしい絵だと思っていました。
美術館巡りをするうちに、視点が大きく変化していきました。
子供が描いたような絵がとても良かったり。
主人は非常に優れた策士。
筆者や子供達の変化を楽しんでいるようにも思えました。
横山大観
[第1回雪月花展出品作]京都祇園にある円山公園のしだれ桜を描いたもの。
春の薄やみの中、立ちのぼる二条の篝火の明かりによって浮かびあがってくる桜の優艶な姿がドラマチックに描き出されている。
大観は昭和5(1930)年、ローマでの日本美術展出品に際して、六曲一双屏風の《夜桜》を描いているが、この時の典雅で清明な趣とは異なり、むしろ幽玄で、大観が愛蔵していた冨田溪仙の《祇園夜桜》に着想を得たのかもしれない。
横山大観
茨城に生まれる。東京美術学校1期生として入学。
明治31(1898)年、師・岡倉天心に従い日本美術院創設に参加し、西洋画の技法に示唆を得た没線描法による作品を発表。
後、院の移転に伴い、茨城県五浦に移住。
大正3(1914)年には天心の遺志を継ぎ、院を再興。
生涯師の理想実現のため創意模索し、独自の気宇広大な世界を確立した。
昭和12(1937)年に第1回の文化勲章を受章。(東京富士美術館から引用)
棟方志功

1903(明治36)年、青森に生まれた棟方志功は、油彩画家を目指して21歳で上京します。
しかしその後、自らにより適した表現として木版画に力を注いでいきました。
1939(昭和14)年には《二菩薩釈迦十大弟子》を制作。
鋭利で力強い彫りの跡や、紙面の白と版面の黒の対比が印象的なこの作品は、現在でも棟方の代表作として高く評価されています。
さらに戦後には国内外の展覧会に出品を重ね、1955年の第3回サンパウロ・ビエンナーレ、翌年の第28回ヴェネツィア・ビエンナーレで受賞するなど、日本を代表する版画家として不動の地位を得るにいたりました。
棟方志功は自らの木版画を「板画」、すなわち板の中から生まれた絵画と称しました。
山下清

実際に見たのは、花火のちぎり絵ではありませんでした。
その当時見たちぎり絵を探すことは残念ながら出来ませんでした。
とても繊細で、細い手作業、そして高い集中力を思わせるものでした。
こんなに細かくちぎり絵で表現できるんだと驚い事を思い出します。
顔が展示された作品にくっつく程近くで見ていましたね。笑
裸の大将は皆様もご存知かと思います。
裸の大将では各地で作品を仕上げているように描かれていますが。。。
実際は、八幡学園や実家に帰ってから記憶を基に描くというスタイルだったそうです。
清は驚異的な映像記憶力の持ち主で、「花火」「桜島」など行く先々の風景を、多くの貼絵に残しているとのことです。
北大路魯山人
その当時、北大路魯山人の何かの建物を移動して、魯山人の作品を一堂に集めた場所が有りました。
(昔のことなので記憶が、何という建物だったのか忘れてしまいました)
探しても見つけることが出来ません。
或いは無くなってしまったのかもしれません。
大きな作品から、小さな作品まで、こんなものまで作ったかと思うようなものも多々有りましたね。
古い木造の建物の中に魯山人の作品を見ることが出来ました。
この作品を見て、主人も蟹の絵を描きお皿を作っていました。
出すとすぐに売れてしまうので、一つは保存しておけば良かったと後悔しています。
主人は元々絵を描く人なので、素晴らしい蟹のお皿を作成しました。
アニメや漫画で有名な美味しんぼは有名ですよね。
大好きで全て観ました。
北大路魯山人の詳細はこちらから
主人の作品が幾つか残っています。
今日はもう暗いので、明日明るいうちに撮影して掲載しておきます。
最後に友人現代美術家が所蔵するロッカクアヤコさんの作品

現代美術家の友人は、この絵が欲しくて保険を解約し、当時で500万で購入したと話してくれました。
ロッカクアヤコさんの作品は、一点ものが多く(手書きなので同じものが無い)今後値段が上がるだろうと友人は話していました。
東京で段ボールに描いていた頃から知っていたそうです。
その頃通る人々に馬鹿にされていたんだとか。
今では国内外で人気を誇る素晴らしい方です。
友人は絵を描くことから、未来の展望が凄い人です。
近い将来、某美術館に貯蔵されるだろうと話しておられました。
2020年10月末から、千葉県立美術館で、国内公立美術館で初の大規模な作品展を行う予定らしい。
個展『魔法の手ロッカクアヤコ展』を開催予定。
nippon.comからは更に作品を見ることが出来ます。
宮古島でのダイビングのお話は明日又書きます。
最後まで読んでくださり有難う御座います。