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家族3人交通事故被害者となってから

 

今日は私の事を書きます。

平成13年3月息子の卒業式に参加する為に最寄りの駅からタクシーに乗車。

別のタクシーが追い越しをかけてきて後部大破の追突事故。

当初の診断は頚椎の捻挫。

その後通院するも一向に改善しない。

痛み止めの薬だけでは効かなくなり、痛み止めの点滴をするまでに悪化。

後で判明したことは、頚椎の捻挫ではなくヘルニアであった事。

次第に起きている事が出来なくなって行く。

食べる事も出来なくなり、食べていないのに断続的に続く胃液の嘔吐。

激しい頭痛、耳鳴り、聴覚過敏、眼底の痛みで目が開けて居られない。

過呼吸で息が出来なくなる怖さ。

実家に帰宅する飛行機の中で気を失う(意識消失)。

気圧の変化に左右される日々。

何も食べられなくなる前から味覚障害で味がわからない。

臭覚障害で匂いがわからない。

事故から半年もすると、自分で自分の身を清める事も出来なくなり、頭中に無数のハゲ。

大量の投薬のせいか、肌の色が褐色になり。

スキルス胃がんの名医S先生に診ていただくと、ピロル菌があり駆除。

その他多角的胃腸障害があり、胃がんになり易い状況だと診断。

今思えば大量のお薬の服用は100害あって一利無し。

目の前にしなくてはいけない事が山積しているのに体が動かない。

動くと目眩でで気持ち悪くなる。

その現状に耐えられなくなり、自ら希望し精神科に何度も入院。

そこでは同じような人が沢山居るので出来ない自分を責める事が少なくなる。(気が楽になる)

辛くなると精神科病院に入院し逃げていた。

長いトンネルは真っ暗で光の見えない世界。

一筋の光も見えない。

そんな時目にしたのが、集団練炭自殺。

病のオンパレードの状態から逃げたかった。

楽になりたかった。

何処から見ても生きる屍状態。

辛すぎる現実。

S病院の耳鼻科の医師は、一月に一回の診察をするよう言われて、一時間に渡る多角的検査。

それを2回受けた。

その結果、耳鳴り、聴覚過敏、聴覚障害(ある音が聞こえない)との結果。

先生曰く今この病で飲んでいる薬があれば飲むのをやめないさい。

これ以上の悪化もしないし、改善する事も無い。

外出の際は、ウオークマン(当時はウオークマンでした)を聴きながら電車やバスに乗ると少しは楽になるから。

と言う事でした。

聴覚過敏は、普通の人なら平気な音でも、電車やバスなど人の多い所に行くと頭の中異常に響き気持ちが悪くなるんです。

異常に響き、煩い!と叫びそうになる。

それからは、病院通院以外は外に出かける事は無くなりました。

余りに辛く生きている意味がわからなくなる。

K大学、T大学、S病院、病状が辛すぎてDr.ショッピングをするようになって行きました。

何処の病院に行っても精神的なものと片付けられてしまいます。

どんなに有名な病院、優秀と言われている病院でも解明されることは有りませんでした。

診察を受けた後は診断結果に放心状態。

助けてくれる医師は居ないとその時確信し途方にくれる。

その頃はまだの脳脊髄液減少症の事を知っている人や医師は殆ど居ません。

2年が経過し藁にもすがる思いで、ネットサーフインで、症状を言いこの病について知っている人は居ないかと探し続けました。

そして、いつだったか忘れましたが、『前から気になって居た』という人が現れたのです。

『その症状は脳脊髄液減少症ではないか』と言う事でした。

初めて聞く病名でした。

そして親切に当時K病院に勤めていた、S先生の事を教えて下さいました。

直ぐに電話で予約の電話。

なかなか繋がらない電話。

繋がったときには、『今回の予約は終了しました』愕然としました。

それで又病名を教えて下さった方にその事を話しました。

『じゃ、患者の会があるから紹介するね』

早速メールで連絡しました。

患者の会の代表から直ぐにお電話があり、他の医師を紹介してくださいました。

そして子供達に付き添われ診察。

脳脊髄液減少症疑いが有りとして、次は入院することになりました。

入院してからRIシンチにて何処から漏れているか確認します。

確か24時間だったと思います。

その結果腰から漏れている事が分かりました。

紹介された医師はとても人間的で優しい先生でした。

何度も病室に来ては確認されていました。笑

急に現れるとびっくりしますよね。

正座していると『ダメダメ横にならないと』でした。

自分の血を糊の役目として漏れている所に入れます。

その後1日の殆どが点滴。

脳圧が上がるため、(風船効果と言われています)とても楽になります。

目が開く。

目眩もしない。

食事の臭いがする。

食事の味がする。

嘔吐がない。

頭痛がない。

この時やっと暗闇の世界から一縷の光が見えた時でした。

この病の治療法を見つけてくれたS先生には心から感謝と共に、

治療をしてくださった、H先生には心から感謝しています。

生きている限り忘れることが出来ない衝撃の出会いでした。

そして退院の日娘が迎えに来てくれて、帰りにステラおばさんのクッキーを駅近くのお店で食べて、『味がする!美味しい』

ここからは、今話題になっている方をご紹介します。

ブラット・パッチで改善する人は全体の8割と言われています。

そのうち2割の方は改善しないまま苦しい状況に置かれています。

この方も交通事故が原因でした。

星野望美さん

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改善することなく寝たきりとなりながらも、自分で作詞作曲をしながらベッドの上で夢を叶え続けている星野望美さんです。

私の経験から、脳脊髄液減少症は特定難病疾患に認定されると思います。

3件のコメント »

  1. よかったですね。いったん自分に付いたラベルや、前医の診断を疑って、最初から先入観なしにしっかり話を聞いてくれたのだと思います。

    • Y大学付属大学病院のH教授と、A病院のS教授とは深い信頼関係があり、今でも度々A病院のS先生に会いに来られると話しておられました。
      この病の恐ろしさを知っている医師は優しい先生が多いです。

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