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天才 三島由紀夫さん 時を超えなぜ若者を惹きつけるのか?



NHK放送で語られた三島由紀夫さんとは

亡くなられてから50年を経過した今、過去の三島由紀夫さんの事が語られてた!

三島さんをよく知る友人のコメントでは『人格が2つどころか、3つも4つも有ったのではないか』と語っている。

『目が普通じゃなかった』

『顔の中でも目だけがギラギラ輝いて獣の目』と語る瀬戸内寂聴さん。

『三島由紀夫さんはピラミッドの謎と同じくらい』と語る知人。

思い深げに『何かこう一生かけて自分探しで』と語る美輪明宏さん。

晩年重ねたのは若者との対話との見出しが出てきます。

友人は語る。

変な軍国主義者の文化人問う扱いをマスコミはしたけれど全然イメージが違う』

『あんなに公平・平等な人はいない』と語る友人。

時を超えなぜ若者を惹きつけるのか

『三島さんと時代は違っても三島さんの作品は必ず何かを応えてくれる』と三島氏をよく知る方のコメント。

三島由紀夫さん50年目の青年論

1970年11月25日、今から50年前日本人を震撼させた事件がありました。

陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地バルコニーおいて、三島由紀夫さんは『話を聞け』と叫んでいます。

『男一匹が命を懸けて諸君に訴えかけているんだぞ』と三島さんが叫ぶ画像が出てきます。

額にハチマキをして軍服に似たような出で立ちで仁王立ちしている姿。

昭和を代表する作家三島由紀夫さんが自衛隊にクーデターを呼びかけ割腹自殺をする。

この時筆者は17歳でまだ子供でした。

このニュースには驚くばかりで、何が原因でどうして死ななくてはいけなかったのか分かりませんでした。

その事を追求したい方々の、過去の三島由紀夫さんを振り返り、本人でなくては分からない部分を解析しようとする内容です。

早熟の天才と呼ばれ24歳で文壇デビュー

美しい修辞に彩られた文体で知られ、思春期の性の揺らぎを描いた『仮面の告白』や青春小説の金字塔とも言われる『潮騒』

文学史にさんぜんと輝く数々の作品を残しました。

その三島氏が何故自殺したのか?

この50年人々の関心は、過激な言動や衝撃的な死に向けられていました。

でも、私たちの世代が(28歳ダンサー)三島由紀夫氏に惹かれるのはちょっと違う気がしますと語る若きダンサー。

若い世代が今、三島氏原作の舞台に立ち始めてその世界観に触れた。

三島氏の世界観をリスペクトする若い世代のクリエータや俳優も少なくありません。

半世紀以上過ぎても、三島氏の作品は新しい読者を増やし続けています。

一つの広告が引き起こすドタバタ劇を描いた『命売ります』5年前から突然売れ始め遂に30万部を突破。

この作品です!

画像をクリックで詳細がご覧いただけます。

筆者は今日購入しました。

明日届く予定です。

ブログを書くことで精一杯で本を最近読んでいません。

この本は面白そうだと思い購入しました。

老眼の筆者には厳しい現実です。笑

本が届いたら暫くブログを休み、読んだ後に感想を書いてみたいと思います。

(目が4つあったらな〜!爆笑)

放送されたのが、11月26日。

何故か録画されていました。

多分番組が入れ替わったのだと思います。

今日までなかなか観ることが出来ずに居ました。

ブログを書くのに1日の大半を使い疲れてしまうからです。(目が。。。)

本屋さんのコメントです。

『亡くなって50年、売れるというのも異例で異例ずくめ 事件です 驚きます』とコメントされています。

そのお顔はとても嬉しそうでした。(なんだかな〜。)


読者のコメント一覧

こんなにも美しく日本語を操れるのかとビックリ。

無我夢中で生きないとなと励まされた。

現在社会に悩む学生にオススメ。

60年前の書き物が不思議なほど現在の日本人につながる。

50年以上経った今でも全然古びていないことに驚く。

描写力に圧倒。

言葉が好きに飛び回っている。

若い人たちはこの作品で救われているとのコメントが多い。

若い人たちが作品から感じる強烈なコンプレックス、三島さんは何を抱えていたんだろう?

精神と肉体の強烈なコンプレックス

たくましい肉体で知られる三島氏ですが、実は幼い頃度々入退院を繰り返すほど病弱だった。

外遊びは許されず家で折り紙や、ままごとをして過ごしました。

小学校から大学まで一緒だった同級生が語ります。(96歳)

『明るい太陽に長くさらされると三島氏は具合が悪いという。そんなことでみんなでからかったりした』

『それほど目立つんじゃなくて、今でも覚えているけど体操の時間は、はじっこの方で立って見学しているのが印象に残っている』

ひ弱な肉体は青年期の三島氏にも暗い影を落とします。

二十歳で召集令状を受け取った三島氏は死を覚悟して家族に遺書を書きます。

しかし、入隊当日に風邪をひき肺侵潤と誤診され戦地に赴く事はありませんでした。

終戦の日も高熱を出して寝込んだまま迎えました。

私が人に比べて

特徴的であったと思ふのは、

少年時代からの

強烈な肉体的劣等感であって、

私は一度も自分の脆弱を、

好ましく思ったこともなければ、

誇らしく思ったこともなかった。

『実感的スポーツ論』読売新聞より

幼少期から抱き続けていた強さへの憧れ。

三島氏は30歳で肉体改造を思い立ちます。

自宅に有名なボディービルダーを呼び週3回のトレーニングを開始。

半年で見違えるような肉体となった三島氏に、美輪明宏さんが褒めると子供の様に喜んだと言います。

みんなが羨ましいものを何か一つ持つということはどんな人でも望みなんじゃないでしょうか。

そういった点でまるで子どもの様でしたと美輪さんは語っています。

山梨山中湖村三島由紀夫文学館資料より

三島氏がもう一つ強烈なコンプレックスを抱えていたことを伺わせる資料がありました。

『仮面の告白』の序文の原稿。

実際には使われなかったもの。

初期の代表作、同性愛を描いた『仮面の告白』の序文。

出版時には掲載されず三島氏の死後、その存在が明らかになります。

序文の一番最初『これはセックスの学校の落第生の告白だ』ということで、生きづらさというか自分は普通の生徒ではないと言っています。

『仮面の告白』は主人公の青年が密かに同性に惹かれながら、女性を愛せずに悩む性的な葛藤を描いた物語。

三島氏はこの作品を『ほとんど自分の体験を忠実に書いた』とも語っています。

私は彼女の唇を唇で覆った。

一秒経った。何の快感もない。

二秒経った。同じである。

三秒経った。ーーー私には凡てがわかった。

逃げなければならぬ。

一刻も早く逃げなければならぬ。

『仮面の告白』より

三島由紀夫氏の心の変遷

ボディビル仲間の証言から

三島氏が31歳の時、何気なく地元の祭りに誘うと飛びついてきたと言います。

神輿は楽しいよと言うと『一回担がせてくれ 参加させてくれ』と言う三島氏。

『三島さんかっこいいよ』なんて言ったら喜んじゃってと嬉しそうに語るボディビル仲間。

三島氏にとって神輿担ぎは幼い頃から感じてきた、自分は周囲から隔絶されていると感じる象徴の一つでした。

神輿を担ぐことは

幼児からの夢であったが、

今まで果たされなかった夢であった。

それには体力がなくてはならない。

祭りの神輿は、

夏ごとに生家の門前を通ったが、

その熱狂と陶酔を内側から生きることは、

自分には終生不可能なやうな気がしてゐた。

『陶酔について』(1956年『新潮』)

周囲と息を合わせて一体となった神輿担ぎ、その体験が三島氏の心身を解き放ちました

今では私は他人の陶酔を

黙って見てゐる事はできない。

自分がそこから隔たれてゐるといふ

悲劇的な諦念に

満足することはできない。

・・・ここまで書いて

私は失笑せざるを得ない。

こんなことを考えて神輿を担ぐ

大袈裟な滑稽な男は、

一体どんな面をしてゐるのであらう。

幼児から私には解けぬ謎があった。

あの狂奔する神輿の担ぎ手たちは

何を見てゐるのであろうといふ謎である。

担いだ私はこの謎を容易に解いた。

彼らは青空をみてゐるのだった。

引用先不明

作家としての三島氏は『小説を書く』ことによって『隔絶された』社会との溝を埋めていくことになります。

漁村を舞台に男女の純愛を描いた『潮騒』や、女性の激しい嫉妬をテーマにした『愛の渇き』など傑作を次々と発表していきました。

(28歳ダンサーのコメントから)

『自分に自信が持てない、他人との違いが気になる、そう感じている人は今も沢山います。』

『自分の悩みに真剣に向き合った三島さんだからこそ、今の私たちにも響くのかもしれません。』

身を起こして、はるか谷間の

金閣のほうを眺め下ろした。

異様な音がそこからひびいて来た。

爆竹のような音でもある。

無数の人間の関節が

一せいに鳴るような音でもある。

私は膝を組んで

永いことそれを眺めた。

『三島由紀夫作 金閣寺』

燃え盛る金閣寺、次第に主人公の中にある決意が。。。

ポケットをさぐると、

小刀と手巾に包んだ

カルモチンの瓶とが出て来た。

それを谷底めがけて投げ捨てた。

別のポケットの煙草が手に触れた。

私は煙草を呑んだ。

一仕事終えて一服している人が

よくそう思うように、

生きようと私は思った。

『三島由紀夫作 金閣寺』

生きようと私は思った

1960年代『金閣寺』などが次々と翻訳され『世界の文豪』と称されるようになった三島氏。

1965年ノーベル文学賞の候補と報じられるなど、毎年のように受賞の期待が高まりました。

次第に三島氏はノーベル賞を強く意識するようになったと、担当編集者であったk子さんは言います。

『ノーベル賞だけは三島さんの中でも格別なものだったと思う。

そこらじゅうのいろいろな賞と違って、満ち足りないものがあったと思う。

全てこの世は自分の思う通りでほかは何もないみたいなことはなくて、やっぱり何かがあったと思う。』

作家として大きな成功をつかんでいた三島氏。

しかし、その内面では新たな葛藤が生まれていました。

週刊誌の元記者が、三島氏がノーベル賞をめぐる世間の評判に振り回されて行くのを目にしていました。

1968年10月日本人初のノーベル文学賞は、三島氏ではなく川端康成氏の手に渡りました。

恩師として慕う川端康成氏の快挙を笑顔で祝福していた三島氏。

その場に居あわせた瀬戸内寂聴さん(98)は、三島氏の全く違う表情を目撃していました。

『三島さんがやってきたんですよ、何か抱えてね、差し上げるものを』

『ぶどう酒か何か抱えて怖い顔してやってきて、三島さんはそれを差し上げてすぐ帰りましてね』

『そのノーベル賞は、本当は三島さんが欲しかったのね』

ここの部分は、筆者はあくまでも瀬戸内寂聴さんの推論だと認識しています。

美輪明宏さんが語る三島氏の思い

会話の中で三島氏の気持ちを垣間見たと話しています。

お会いした時に『何ですかあんなもの』と私が言ったんです。

あれは爆薬を仕掛ける発明をして、『それの罪滅ぼしのための賞でしょう』と言ったんです。

『罪滅ぼしみたいな 汚らわしい賞なんか』

『私に もしくれたら突き返してやりますよ』と言ったの。

三島氏『君は強いね どうしてそんなに強いんだ』って。

アナウンサー『君は強いね』と言った三島さんの気持ちは。。。

美輪さん『それは 天才の心を推察するのは僭越です』うまく逃げましたね美輪さん。笑

何のために生きるのか40にして惑う


三島氏はこの頃から過激な言動を強め、社会を驚かせていくことになります。

学生100人を集め民間防衛組織、楯の会を結成。

当時日本は高度経済成長期の真っただ中。

経済的な豊かさを追い求める中で、人々の価値観が大きく変容していました。

三島氏は自衛隊への体験入隊を繰り返し、日本の武士の魂を取り戻すとして、学生と訓練に打ち込んでいました。

楯の会元会員さんからのコメントです。

この頃の三島氏の、自分の生き方に思い悩む姿を目にしていました。

『もう自分は40を過ぎたと』

『文豪として死ぬか、英雄として死ぬか』

『ちょうどその岐路ににきたと』

なぜ三島氏は小説の世界にとどまらず、現実的な行動に走ったのか?

三島氏が生き方への迷いを吐露するような41歳の頃の肉声。

僕はね戦争にも とうとう行く機会がなかったし

戦場で人を見捨てた記憶もないし

自分がなぜ生き残っちゃったか

いつも考えるわけです

生き残っちゃったお前は20年間何したんだって言われると

ぐっと つまることはありますね

それじゃ 俺は文化をやっていたんだと

文学で日本に貢献したって言えるかどうか

さあって 気が起きます

[NHKラジオ 『時の人 三島由紀夫』より]

三島由紀夫さんは45歳で自ら命を絶ち人生を閉じました。

でも、その晩年には気になる一面がありました。

若者たちと対話する姿です。

三島さんは夜な夜な若い人たちと立場を超え語り合っていたそうです。

『これから何をしようか、どうやっていこうか』

『そういうのを持っている若人と話す方が三島先生は好きだったみたいですね』

『若い人たちは自分のエネルギーを出している三島先生はそれを好きでいらっしゃる』

『でも若い人たちは逆に三島先生からまたそういうエネルギーをもらっている』

というような事があったのかもしれませんね。(当時のバーのマスター)

晩年大切にした若者との対話

当時日本では、ベトナム反戦運動や安保闘争を機に若者の熱が社会を揺り動かしていました。

信念を持って社会を変えたいと行動する若者に三島氏は可能性を感じていました。

『青年論』と題した評論で若者への期待をこう語っています。

青年は どんな時代だってバカだ。

ただ、あいまいな状態で考えた思考は、

あとになって必ず役に立つ。

若い頃三島氏にかけられた一言で人生が大きく変わったと言う人がいます。

国立劇場で40年歌舞伎一筋に生きてきたOさん。

歌舞伎も手がけていた三島氏と、24歳で出会ったOさん。

将来への不安を打ち明けたときのことでした。

『歌舞伎から足を洗おう、辞めようと思う』と話したことがある。

それに対して三島氏は、『首までどっぷりつかってみろよ!』

『それから考えりゃ良いよ』

ずっと歌舞伎から縁を切れなかったのはあの一言じゃないかなとOさんは語っています。

三島氏はこの時期、学生たちと直接議論するために、いくつもの大学に出向いていました。

大作家にもかかわらず、若者に対する三島氏の態度は常に真摯なものでした。

主催者側がビラを書きまして『文豪の狂人来る』と

狂人と思いになっても構いませんから私の言うところから判断していただきたい

1968年10月 早稲田大学『三島由紀夫 学生との対話』より

僕は現在一番悩んでいる問題というのは個人と社会の関係ですね

三島先生のですね 自己と社会の関係っていうのをもう少しはっきりお聞かせ願いたい

早稲田大学学生からの質問

私は小説家として出発いたしましたから社会というものは敵であるというふうに考えておりました

そう思わなければ 小説なんて書くバカはいないんです

そして社会から認められるということと敵であるという2つの面がある

そして自分が社会というものに適合するかどうか

自分の文学的才能っていうものはひとつの社会の言葉になりうるのかどうか

そういう不安が文学の出発点です

早稲田大学にて 三島氏の返答

中でも大きな注目を集めた若者との対話があります。

1969年東大全共闘との討論会です。

東大全共闘は当時、その一部が機動隊と衝突するなど、特に活動を先鋭化させていました。

三島氏と、東大全共闘は思想的に対極に位置する存在。

右派と、左派両者による舌戦を目撃しようと1.000人以上の学生が詰めかけました。

異様な緊張の中で行われた討論会。

集まった学生たちは、三島氏の発する言葉をかたずをのんで聞いていたと言います。

『男子 一度門を出ずれば七人の敵あり』というので

今日は七人ではきかないようで大変な気概を持ってまいりました

諸君のいわゆる体制側の人と会っていました

それほど偉い人ではないですが、優秀なる体制側の、その人が言うには

『どうも困ったもんです、あんな連中(学生)が騒いで』

『本当にばかばかしいことではございますね』と言うので

私はちょっと嫌な気がした

東大全共闘での三島氏

真っ正直な人

若者に対して若者だからという変な理屈がなくて

真っ正直に若者に向き合っている印象

東大全共闘 元メンバー Kさん

2時間にわたる対話。

三島氏の最後の一言が50年経った今もKさんの胸に残っています。

最後の言葉  諸君たちの熱情は信じる

三島氏のコメント

右とか左 表面上はあったとしても

『根底まで考えろ』ということだと思う

根底まで考えた人は 三島さんに認められるわけよ

『根底的な対話』が人間には必要

あの議論に参加した1.000名はみんなそう思って大きくなったと思うね

東大全共闘 元メンバー Kさん

その1年後三島由紀夫さんは45歳で生涯を閉じます。

その死は今も謎に包まれているとの事です。

その様子は子供だった筆者にも衝撃的な事で脳裏に焼きついています。

今回の放送で三島由紀夫氏への思いが変化しました。

明日届く本が今からとても楽しみです。

私には三島さんが50年も前に亡くなった人だという実感が

どうしても湧いてきません

今もどこかで 三島さんが語りかけているそんな気がするのです。

(28歳ダンサーのコメントから)

青年といふものは、どんな時代だってバカですよ。

これは、自分ことを考えて断言できることだが、ぜんぜんバカなものなのだよ。

ただ、バカではあるけれども、アイマイな状態で考へた思考というものは、

あとになって必ず役に立つ。

そういふ青年は、自分の考へを整理する段階に入れば、だんだんユニークな人間になる。

ぼくはね、青年を信用しないといふことは、自分を信用しないといふことだと思ふ。

どんな社会でも、青年は必ずオトナになるんですからね。

青年論 キミ自身に生き方を考えるために  三島由紀夫氏

まとめ

当時16歳だった筆者は、テレビで報道される学生と機動隊の衝突の意味が分からないまま観ていました。

この放送内容を観て、その時のことを鮮明に思い出しました。

人はそれぞれ悩みながら成長するものだと、体験してきた方々は同じように感じられることでしょう。

筆者も生きてきて色々なことを体験し、時には愚かなことだったり後悔することだったり、人として生きていれば何も悩まない日などありえません。

筆者は未熟児で産まれて、その後小児喘息となり枕元にはいつも洗面器が置かれていたことを思い出します。

決まった日に病院に出かけては、お尻に注射されていました。

小学校に入る時期になっても、身長体重など今の3歳児の体型でした。

身長は90cmもなかったと記憶しています。

そのため母は学校のすぐ前に引っ越しをしました。

そんな状況ですからランドセルが背負えない。

母も随分苦労したと思います。

そして小学校には玄関から入ると3段の階段があり、その段差が大きくて登れません。汗

必ず担任の先生が迎えに来てくれていて、教室までおんぶされていたと記憶しています。

そして6年生になり卒業の日、その当時の先生が泣きながら『こんなに大きくなって』と泣き笑いされていたことを思い出します。

そんな風に育った筆者は、三島氏の事が他人事ではない気がしています。

それでこんなに書いてしまいました。

最後まで読んでくださり有難うございます。


5件のコメント »

  1. いいお話をありがとうございます。三島由紀夫、興味はあるけど小説を読んだことがなかったので私も読んでみたいと思います。私、ちょうどいま三島由紀夫が自決した歳の45歳です。割腹自殺するほどの信念はありませんが自分らしく生きるための死ぬ覚悟みたいな、そんなものは持っていたいなと思っていますが😊

    • コメント有り難う御座います📝

      三島由紀夫さんの本、『命売ります』昨日ポストインで届きました。

      なかなか面白いです。
      269ページ中の95ページ目ですが、段々と面白くなりどうなるのか、期待感半端無いです。

      私も三島由紀夫さんの本は
      初めてです。

      その後アマゾンでたまたま、自決に至るまでの映画を拝見して、今複雑な心境です。

      日本を変えたいと言う強いお気持ちは理解出来ますが、13歳から本を書く程の天才。

      文豪としての活動も出来たのではと
      残念な気持ちでいっぱいです。

    • kenichi様
      面白いです!
      題名からして暗いイメージがわくかも知れませんが、そんな事有りません。
      とにかく面白いです。
      コメント有り難う御座います♪

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