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交通事故に遭遇してから今日までの経緯 あれこれ



平成13年3月交通事故に遭遇して

以前にも記事にした事ですが、今日は新たに振り返ってみたいと思います。

交通事故に巻き込まれて、その後普通の生活を迎える事が出来なくなりました。

病院に行っていも、改善するどころか悪化していく中希望という文字が消えて行きました。

毎日激しい頭痛や嘔吐、光過敏、目が開けていられない。

聴覚過敏に、酷い耳鳴り。

聴覚過敏があるため、人ごみに入ると頭の中で人や金属、色々な音が鳴り響き気持ちが悪くなります。

意識障害や過呼吸で救急車で運ばれるも、その場限りの対応で何が原因かどこの医師にも正確な判断ができる医師は居ませんでした。

何も食べられなくなり、動くことさへ出来なくなって行き横になると軽減することから寝ている事が多くなって行きました。

慶応大学病院、聖マリアンナ医科大学病院、横浜総合病院。

ドクターショッピングをするようになって行きました。

辛すぎて何とかそこから抜け出したいがために。。。

聖マリアンナの耳鼻科では、その当時良い先生が居て二ヶ月に及ぶ検査をしてくれました。

『耳鳴りはもうこれ以上悪化することもないし、良くなることもない。』

『人が聞こえない音が聞こえてしまうようだ』

『特定の音が聞こえにくいようだ』

『移動するときには、ウオークマンを聴きながら移動すると少しは楽になる』

『耳鼻科に関する薬を飲んでいるのならすぐ飲むのを止めるように』

とのことでした。

地元の耳鼻科の医師は『必ず直してあげるから』と言い大量のお薬を出されました。

地元の医師は検査もせずメニエール病だと判断しました。

その頃既に痛み止めの飲み薬、痛み止めの点滴、他多くの薬を飲んでいたため、筆者は恐ろしくなり処方された大量のお薬は飲まないでいました。

それは正しい判断でした。

自殺も考えた頃

子供は長男が高校を卒業したばかり。

娘はまだ中学生で、春には高校生になる頃でした。

何も出来なくなった筆者の目の前には、家中の埃や汚れた色々なものが目に飛び込んできます。

平成14年、事故から1年後には自分でお風呂にも入れなくなり、中学を卒業して高校生になった娘にお風呂に入れてもらうなど悲惨な状況でした。

病院に行く時に、同じ年代のご夫婦が元気に庭を(庭師)造っているのを見るだけで羨ましく、自分が情けなくなって行き自分を責めるようになっていました。

その頃流行っていた、練炭集団自殺と言う言葉が目に飛び込んできます。

一人じゃ怖いけどみんなでなら。。。

と考えるようになっていました。

逃げるように自ら精神科病棟に駆け込んだ筆者は、入退院を繰り返すようになり居ごごちの良い場所となって行きます。

筆者と同じような患者さんの中にいると何故かホッとしたものです。

そして目の前にしなくてはいけないことが何もないこの世界に身を置くようになって行きました。

今考えるととても異常な状況だと思えます。

その中の何人かは病院に入院しても回復せず、帰らぬ人となられた方が多くおられました。

運命の出会い

その頃使い物になるかどうか分からないからと、安いPCを主人に買ってもらいその頃流行っていたネットでのチャットルームに入り、毎日『このような症状があるけれど誰か知りませんか?』

と藁にもすがる思いでチャットルームに入っていました。

そして、平成14年の終わり頃、脳脊髄液減少症かもしれないと教えてくれる方が居ました。

早速H共済病院に電話をしてみると『S先生の予約は終了しました。半年後に又電話してみてください』との事でした。

半年後に電話をするも電話が繋がらない。

繋がった頃には『既に予約が一杯です』との返答でした。

脳脊髄液減少症の事を教えてくれた方に事情を話しました。

そして脳脊髄液減少症家族支援協会を紹介して下さいました。

Y大学付属大学病院のH医師を紹介してくださり、早速子供に付き添われて診察に行きました。

入院日が決まり、検査をすると腰から髄液が漏れていることが判明しました。

そしてブラット・パッチを腰にすることになりす。

その後、一番症状がきつかった目が開くようになり、嘘のようにあらゆる症状が消失して行きました。

Y大学付属大学病院のH医師は、その後S教授によると『今でも時々こちらに見えて勉強されて帰りますよ』との事でした。

退院日に迎えに来てくれた娘と、帰りにステラおばさんに立ち寄り、その頃にはとても前向きな筆者が居ました。

『こんなお店を経営出来たら楽しいだろうね』と呟いていました。

平成16年今のところに引っ越しをしてから


引っ越ししてから2ヶ月後、みみちゃんと夕方散歩中、大型乗用車に轢かれてしまいました。

携帯片手に前を向かず携帯に夢中になっている加害者を見て、これは危ないと判断し車から見て右側に避けて行き過ぎるのを待つ事にしました。

個人の老人ホームが多いなか、減速もせず侵入してきました。

筆者の場合、よくご老人が歩いていたり、徘徊していることがあるので基本減速して侵入します。

運が悪いことに、いつも止まっていない車がお隣の道路の傍に止まっていました。

とっさに右に急ハンドルを切ったために大きなタイヤにはねられてしまいました。

これを読まれている方も『何と運のない人だ!』と思われて居る事でしょう。

それから地元の医師にかかるも口を揃えて『頚椎の捻挫』でした。

その後要約S教授の診察を受けられる事となり検査結果は『頚椎の狭窄症』との診断が出ました。

そしてまた脳脊髄液減少症と同じ症状が出て、寝ている事が多くなります。

母親には散々怒られました。

『子供達が賢明に働いているのに何をしている!』と怒られていました。

そうした日々が毎日となり辛くて、睡眠薬を大量に飲み自殺を図りましたが死ぬことは出来ませんでした。

平成18年のこと

母がクモ膜下出血となり、後遺症として水頭症となってしまいました。

VPシャント術を受けるも、血管性の認知症となってしまいました。

母が入院しているリハビリセンターに向かう途中事故に遭遇。

叔父の運転するボルボ車はとても頑丈な作りですが、ドアーが開かないほどの被害を受けました。

助手席に同乗していた筆者と叔父は救急病院に行くことになります。

そこでの診断は、『頚椎捻挫』ここまで誤診されると笑ってしまいますよね。爆笑

医師の何と質の悪いことか。。。

患者のことはどうでも良いんでしょうね。

そして定期的に診察を受けることになっていた、S教授の診察日が来て診察を受けました。

そこでの診察結果は『頚椎強度狭窄症』でした。

そして前方固定術をすることになります。

手術前日、近くのホテルに宿泊していた子供達に会いに行こうと病院を抜け出そうとした所、看護師さんが飛んできました。

とても不安だったのです。

それにしても看護師さん凄いですよね!

何でバレたんだろう?

前方固定術をしてから

S教授に今手術をしなければ、転倒しただけでも車椅子になる。

車椅子になってからこの手術をしても改善はしない。

絶対適応だと言われて行った手術。

頚椎と髄液、或いは、血の流れる所を圧迫していた頚椎が正常化したことで見違えるほど改善しました。

食欲低下がずーと続いていた筆者は、入院中リバンドしてとても太ってしまいました。苦笑

買い物をして、子供達が迎えにくるところを外で待っていると、ご老人に(目が悪かったのかな?)妊婦と間違えられてしまいました。爆笑

『大丈夫ですか?』と聞かれて『ん?なんのことだろう』と筆者。(筆者は天然の蛍光灯)

そこへ息子が来て『ああ!ご主人が迎えに来られたのですね』と言われて息子はとてもショックで落ち込んでしまいました。

今思い出しても爆笑ものですが、息子は酷く傷ついたようです。(そりゃそうだ!)

平成20年のこと

体も落ち着き、家のことばかりじゃつまらない。

何か自分に出来る事はないだろうかと考えた筆者。

通信でHTMLで作成する、通信でのホームページデザイナーの資格を取ることにしました。

殆ど100点満点でした。

しかしここで問題発生!

提出するところまで来ると突然全てが消えてしまいます。

この頃のノートパソコンでは無理があったようです。

この当時まだそのことに関しては知らない筆者でした。

でも、復習になると前向きに考えてまた一から作成します。

平成21年のこと

1年で終了と言う内容でしたが、予定通り卒業したのは1年後の平成21年6月1日。

卒業証書には、優秀な成績で終了されましたと書かれてあります。

そしてパソコンはデスクトップを購入することにしました。

初めてのMacです。

利子なしのローンで購入しました。

そこでまた問題発生!

今までウインドウズしか知らない筆者には何が何だか分かりません。

サポートの延長プランに加入していましたので、連日サポーターの方に指導して貰っていました。

サポートの方々は大変だったと思います。

『ご迷惑おかけしてすみません』と今だから思える筆者です。

長くなってしまいました。

この続きはまた明日書きますね。

最後まで読んでくださり有難うございます。


3件のコメント »

  1. 痛み止め。現代医学の限界を感じてしまう薬。家内は脳卒中後疼痛に苦しめられ(今も)薬に疑いを持つまで、さまざまな薬を飲みました。どれも全く効果を示さず、副作用が増えるだけでした。最後にトドメを刺されたのがリリカ 。400mgまで無責任に処方されても全く効果がなく、素人判断で断薬をしましたが、2ヶ月にわたり幻覚との戦い。とても一人にしておけない日々が続きました。薬を断つ勇気、断ち続ける決断は正解だったかな。とりあえず、何も飲まなくても変わりませんから。副作用がないだけありがたい。この投稿、刺さりました。検査で数値化できない症状に対して現代医学は無力で、医師の振る舞いは患者をより苦しめることも多いと思います。思わずコメントしてしまいました。

  2. Rumikoさんが生きていてくれて、よかったです🌸生きていればきっとなんとかなります☺️
    日々いろいろなことが起きますが、自分らしく気軽に楽しく生活していきたいですね🍀

    • kaho様
      コメント有り難うございます。
      今は気楽すぎて子供達に怒られています。😊
      脳脊髄液減少症の場合、外見からは理解されず苦しい思いをしました。
      その経験から少しは強くなれたのかな???とも思います。

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