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プレスリーの人気は、今もなお留まることを知らない人気だ!

エルヴィス・プレスリーは、アメリカのミュージシャン、映画俳優。

前世界の総レコード・カセット・CD等の売り上げは6億枚以上とされている。

世界史上最も売れたソロアーティストで第1位。

キング・オブ・ロックンロールと称される。

ミドルネームは公文書、サイン共にAron、墓石にもAronと表記されている。

活動期間:1954年−1977年

出身地:アメリカ合衆国テネシー州メンフイス

生誕:1935年−1977年(42歳没)

ジャンル:ロックンロール、ポップ・ミュージック、ロカビリー、カントリー・ミュージック、ゴスペル、ブルース、リズム・アンド・ブルース

エルヴィス・プレスリーの音楽あれこれ


Elvis Presley – Jailhouse Rock 

YouTubeからご覧下さい。


監獄ロック

出典:フリー百科事典(Wikipedia)

監獄ロックは、エルヴィス・プレスリーが1957年に発表したシングル。

プレスリー主演映画としては3作目となる監獄ロック1957年11月8日公開の主題歌。

アメリカ合衆国のミュージカル映画。

エルヴィス・プレスリー主演。

2004年、アメリカ国立フィルム登録簿に登録された。

あらすじ


ヴィンス・エヴァレットは気さくな好青年だが、短気なトラック運転手。

ある夜、仕事を終えて寄った行きつけの酒場でふとしたことから殴り合いの大喧嘩になり、相手を死なせてしまい、服役することになってしまう。

ヴィンスは刑務所内で元フォーク・シンガーのハンクと知り合い、彼から歌の才能を見込まれてギターの手ほどきを受ける。

そして、出所後2人で組んで舞台に立とうと約束を交わす。

一足先に出所したヴィンスはある小さな酒場の舞台に立ったが、誰も耳を傾けないうえ、歌の最中に騒いだ客に暴力をふるって飛び出してしまう。

そんな彼をレコード会社の営業担当のペギーが気に入り、彼に歌い方をアドバイスし、彼を自社の社長に紹介してくれる。

ところが、ヴィンスの曲はそこの看板歌手に奪われてしまった。

そこで2人は自分たちで会社を起こしてデビュー曲を売り出した。

ペギーの友人でディスク・ジョッキーのテディの協力もあり、ヴインスはたちまちスターとなる。

しかし、ヴィンスは次第に名誉や金以外に目もくれなくなり、ペギーとも大喧嘩して反目、出所して彼の元にやってきたハンクも顎で使う高慢な人物になり果ててしまう。

キャスト


  • ヴインス・エヴァレット:エルヴィス・プレスリー
  • ペギー:ジュディ・タイラー
  • テディ・タルボット:ディーン・ジョーンズ
  • ハンク:ミッキー・ショーネシー

ギャラリー


G・I・ブルース


1961年1月13日公開

エルヴィス・プレスリーの軍隊生活をヒントに、エドモンド・ペロインとヘンリー・ガーソンのオリジナル・シナリオを『底抜けの宇宙旅行』のノーマン・タウロウが監督した音楽映画。

撮影も『底抜けの宇宙旅行』のロイヤル・グリグス、音楽をジョセフ・L・リリーが担当。

出演は『闇に響く声』のプレスリー、『カンカン』のジュリエット・ブラウズ、他にロバート・アィヴァース、レティ・ローマン。

プレスリーが新曲を10曲歌う。

制作ハル・B・ウォリス。

G.Iブルース (1960年)

軍歴


1958年1月20日に、プレスリーはアメリカ陸軍への徴兵通知を受けました。

当時のアメリカは徴兵制を施行しており、陸軍の徴兵期間は2年間。

プレスリーは特例措置を受けることなく、他と変わらぬ普通の一兵士として西ドイツにあるアメリカ陸軍基地で勤務し、1960年3月5日に満期除隊しました。

徴兵命令が来た際、プレスリーは『闇に響く声』を撮影中で、徴兵を少し延期したことでも話題になります。

徴兵局はパラマントから延期の申し入れに対し、『エルビスをよこして頭を下げさせろ』と伝えます。

翌日、プレスリーは徴兵局へ出向き、延期の申し入れを行います。

プレスリーは軍在籍中に西ドイツで松濤舘空手を学び、また軍曹まで昇進した。

また在籍中、病気にかかり軍の病院において扁桃腺炎だと診断された。

その際、医師はプレスリー声が変調するのを恐れて、扁桃腺の切除手術は行いませんでしたが、その後回復し健康を取り戻します。

陸軍に勤務していた頃のプレスリー



              Elvis Presley – G.I.Blues


Wooden Heart – Elvis Presley from G.I. Blues

ここからは好きな曲を入れていきます。笑





この頃のエルビスのファッションを真似する人が続出。

若い方から、シニアまで面白かったです。

エルビスのファッションに似た服をあつらえて、エルビスになった気持ちになっていた多くの男性を見てきました。

中には女性から子供まで。。。


エルビスを基にした小物からTシャッツまで販売されているようです。

私も欲しいかも。。。


エルヴィス・プレスリーのファッションに対しての考え方


1970年代のプレスリーは真っ白なジャンプスーツが思い出されますが、それ以外にも紺や青、水色、赤などのジャンプスーツも着ています。

1970年初期のジャンプスーツは動きやすさを念頭に置いたシンプルな衣装でした。

それがどんどん派手になっていき、ケープまで登場します。

金やダイヤモンドやルビーなどを施したジャンプスーツは25kg以上にもなっていた。

前述のように、これは敬愛していた著名なピアニストであるリベラーチェからの影響を受けたものだった。

ただし、プレスリーは宝石類にはあまり興味がなく、ステージ上で華やかに見えるものなら安いイミテーションでも構わないという考え方だった。

食生活


酒も煙草もやらない。

たまに葉巻を吸う程度。

『オンステージ』で観客から酒を渡された時も、口に付けるだけでほとんど飲んでいない。

ステージ上で飲んでいるのは水かゲータレードです。

コーヒーや炭酸飲料、ピーナッツバターとバナナとベーコンのサンドイッチが大好きで、毎日のように食べていた。

今ではこのサンドイッチは『エルヴィスサンド』と呼ばれている。

ただし、このサンドイッチは食べる前に大量のバターを溶かしたフライパンで揚げ焼きしたもので、当然ながら高カロリーなため、プレスリーが30代以降体調を崩し、肥満化していった一因になったのではないかという指摘もある。

世界に与えた影響


ヨーロッパにおいて、ロックンロールという新しい音楽への興味を生じさせた。

ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、エルトン・ジョン、ボブ・シンガー、フレディ・マーキュリー、ルー・リード、クリフ・リチャード、ロバート・プラント、ブルース・スプリングスティーンなどをはじめとする多くのアーティストが大きな影響を受けた。

1977年にジミー・カーター大統領は、エルヴィス・プレスリーの死は、我が国から大事な一部分を奪い取ったようなものだ。

彼の音楽とその個性は白人のカントリー音楽と、黒人特有のリズム・アンド・ブルースのスタイルを融合させ、永久にアメリカの大衆文化の様相を変えてしまった。

彼は、白人のアメリカ人に目線を下げるということを教えたという言葉を書き残している。

wikipediaより引用

プレスリーの人気は、今もなお留まることを知らない人気だ!

プレスリーをモチーフにした映画の製作やプレスリーの曲が数多くの映画の挿入歌に使用される事も多い。

プレスリーに因んだセリフも数多く映画の中で聞く事が出来る。

ブロードウェイのミュージカルにも取り上げられる等、そのような話題は留まる事を知らない。

プレスリーの記録であるナンバー1ヒット曲数18曲が、2019年マライア・キャリーの19曲によって更新された。

プレスリーの物真似、または成りきる(演じる)事を生業とする人々が世界に存在し、その数は8万5000人と言われている。


また、エルビスを尊敬するアーティストも多く、そのようなアーティスト達が一堂に会したトリビュー・コンサートが実現した。

更に1997年には新たなる試みとして、プレスリーのコンサート映像を使用し、それに合わせて当時のバンド・メンバーが演奏するエルビス・ザ・コンサート(現エルビス・プレスリー・イン・コンサート)のメンフィス公演が行われ、以後全米各地のほか、ほぼ年に一回のペースでアメリカ以外の地域でツアーを行なっている。

彼の死後、プレスリー生存説、目撃情報などの滑稽な陰謀論やオカルト話が『ウィークリー・ワールド・ニュース』『東京スポーツ』など相次いで報告された。

年をとったプレスリーを見たという証言がある一方、若い頃そのままのプレスリーを見たという証言もある。

プレスリーが生きているという確実な証拠には300万ドル(約3億4000万)が支払われる。

(一部wikipedia引用)

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