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オードリーヘップバーンとジバンシー&ファッション

デザインの成功からビジネスの成功へ


高級既製服という考え方での新しい販売方式は不発に終わりましたが、ジバンシィの生み出すコレクションは常にファッションシーンの主役でした。

セパレートを基本としていましたが、それ以外でも革新的なアイテムを次々と生み出していきました。

ジバンシィがデビューしてから、彼の元には多くの顧客が訪れました。

中でも1954年にスキャパレリが引退すると彼の顧客や友人たちがこぞってジバンシィのサロンを訪れてきたのです。

マリーネ・ディートリッヒ、パトリシア・ロペス・ウィルショー、グロリア・ギネス、ウインザー公爵夫人などはスキャパレリとの関係からジバンシィの顧客へとなっているのです。

また、1854年には小さなサロンをジョルジュサンク通りに移転することになります。

この頃にはジバンシィのデザインを有名メーカーが再現した商品が発表されましたが、生産体制が追いつかずに頓挫しますが、さらにそれから月日が流れた1968年『ジバンシー・ヌーベル・ブティク』がオープンします。

これは現代のプレタポルテを先取りするコンセプトで、オートクチュールから高級既製服が主流となるというのを兼ねてから予想していたジバンシイの思惑が見事に世に受け入れられることになりました。

オートクチュールの精神を継承しつつも、価格を格段に抑えた新しいコレクションは大ヒットしたのです。

この時点でジバンシィは特にアメリカにおいて不動の人気を得ていました。

ジバンシィはフランス人であり、『アメリカ人であろうが、イタリア人であろうがあまり関係ない』と発言するなどドライな一面を見せていましたが、アメリカではジバンシィの提案するトータルなファッションというのが国民性に合っていたのです。

拡大を続けるジバンシィブランド


特に成果を挙げたのが、1957年に設立された『パルファム・ジバンシィ』でオードリーに捧げられたとされる『ランテルディ』によって一気に世界中に広まりました。

兄のジャン・クロードを経営者として小さくスタートを切ったジバンシィでしたが、香水やオードトワレ、美容品や化粧品など次々と商品を拡大し、業績を伸ばしていきました。

さらにはホテルなどのインテリアデコレーション、壁紙やテーブルウェアなどのファブリック、自動車のデザインなどファッションデザイナーの域を超えていました。

そんなジバンシィにはデザイナーとして数々の賞が授与されましたが、中でも特筆すべきなのが1978年に贈られたゴールドシンプル賞、1979年のパーソナリティ・オブ・イヤー、1980年の男性ベストドレッサー、1983年のレジオンドヌール勲章などがあります。

デザイナーとしてだけではなく、経営者としても手腕を発揮したジバンシィによってまさにブランドは飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続けたのです。

さらなる高みへ『LVMH』グループの買収


ファッション業界は巨大なブランドコングロマリット傘下に多くのブランドが存在しているという状態になっています。

特に2000年前後にその動きが活発化しましたが、ジバンシィは1987年の段階ですでにLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)の傘下となりました。

これはジバンシィというブランドをさらに発展させるためにとても意味のあることで、ジバンシィ自身もこの買収によってオートクチュール、プレタポルテ、パルファムを大きく発展させることができるだろうと考えていました。

ここまでデザイナー兼経営者としてブランドを一手に支えてきたジバンシイもこのLVMHとの関係のおかげで創作活動に専念できる名誉会長兼芸術部門の責任者となることができたのです。

そして、1995年についにジバンシィはメゾンから公式に身を引くことになります。

最後のコレクションでは白いコートを着て別れを告げ、ジバンシィというデザイナーの伝説は幕を閉じたのです。

ジバンシィがメゾンを去った後は混沌


ジバンシィの後任としてクリエイティブ・デレクターに就任したのはジョン・ガリアーノ。

ただガリアーノは2回のコレクションを発表しただけで退任し、ディオールに移籍したため、後任にロンドンニューウェーブの先駆者として『アンファンテリブル(悪魔の申し子)』と呼ばれたアレクサンダーマックイーンが就任しました。

このアレクサンダー・マックイーンの起用というのは、良い面も悪い面も両方ありましたが、結果的に見るとあまりいい方向にはいかなかったというのが結論です。

というのも、マックイーンのカッテイングの技術は素晴らしく、そのおかげもあってジバンシィはかつての人気を取り戻したのですが、ただジバンシィらしさというものがなくなり完全にマックイーンカラーになってしまったのです。

また、マックイーン自身も人気があるのにジバンシィカラーがなくなったと批判されることをよく思っておらず、自社株の大半をグッチグループに売却したことでLVMHと険悪な仲になり結局5年ほどで退任に追い込まれます。

アレクサンダーマックイーンの後任には2001-2002年秋冬コレクションよりシャネルでカール・ラガーフェルドのアシスタントを務めたジュリアン・マクドナルドが就任。

そして、2003年よりメンズラインはオズワルド・ボーティングが担当します。

結局ジュリアン・マクドナルドもオズワルド・ボーティングも長くは続かず、ジバンシィがブランドを去って以降ブランドは混迷期を迎えてしまいます。

2005年よりリカルド・ティッシがレディースウェア、オートクチュール、アクセサリーのクリエイティブ・ディレクターに就任し、さらに2009年にはオズワルド・ボーテイング辞任以降空白となっていたメンズ部門も手がけるようになります。

リカルド・ティッシ就任からは、メディアからも高い評価を受けるようになりブランドを蘇らせたデザイナーとして賞賛されるようになります。

明らかにこれまでのガリアーノやマックイーン、ジュリアンと比較しても高い評価となっています。

2008年にマドンナのワールド・ツアーでティッシのコレクションが採用されたことや、レッドカーペットでケイト・ブランシェットが、ジバンシィのドレスを身につけるなどの過去の栄光を取り戻しつつある状況です。

クレア・ワイト・ケラー

そして、2017年に12年間クリエイティブ・ディレクターを務めたリカルド・ティッシもメゾンを去る時がきました。

ラグジュアリーブランドではクリエイティブ・ディレクターの交代は日常茶飯事ですが、リカルド・ティッシのようにブランドに大きく貢献したデザイナーが去る場合は、後任が誰になるのかというのは憶測なども多く飛び交い注目を集めます。

指名されたのはクレア・ワイト・ケラーでクロエのデザイナーを務めてきた人物。

昨今ではディオールでマリア・グラツィア・キウリがディオール初の女性クリエイティブ・ディレクターとして話題を集めましたが、ジバンシィでも初のクリエイティブ・ディレクターとして選ばれました。

クレア・ワイト・ケラーは、ユーベル・ド・ジバンシィ時代の原点に回帰するというスタイルをとり、ジバンシィだけではなくジョン・ガリアーノやアレキサダー・マックイーン、ジュリアン・マクドナルド、リカルド・ティッシに至るまで膨大なデザインを学習し、アーカイブを活かしながら新しいジバンシィを生み出しています。

2018年5月の英国ヘンリー王子とメーガン妃のウェディングドレスを特別に製作するなど、オートクチュールコレクションに焦点を当てたクリエション賞賛を集めまていましたが、2020年秋冬コレクションを最後に退任が発表されました。

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